〜 刻 印 〜
後ろ姿が、昔施設で一緒にいた少年に似ていた。 小学校に上がる前の記憶だから、中学2年になった今、それほどその姿が似ているとは 思えない。 が、戸岐航平の目を引いたその後ろ姿は確かに彼のものだった。
「ヒカルくん?氷室ヒカル君ね?ええ、来ているわよ。今じゃ、DDの無敗のチャンピオ ンよ。…でも、よくわかったわね。『ヒカル』君だって」 エージェントLの言葉に、航平はにやりと笑った。 「だってさー、あいつ全然変わってないじゃん。いっつも一人でいるし」 すまし顔の、すかした奴でさ。と口の中で呟くが、Lには聞えなかった。
つり気味の眉と垂れ気味の目。軽い口調の調子のいい言葉。 愛嬌があるかわいい顔なのだが、どこか皮肉でとらえどころのない顔つきである。 「でさー、そのヒカル君がぁ、関係者以外立ち入り禁止の場所にいるってのは、なんで?」 「ああ。彼、例の候補者の一人なの。だから、昔あなたも使っていた訓練室できっと一 人で特訓中ね。…今でも充分強いのに、もっと強くなりたいらしいわ」 「へえ。あそこにねぇ」 「挨拶したの?」 「いいや…俺、あいつキライ」 「あらあら。めずらしく人に関心があるの?航平君。キライというのは、気になってい る証拠よ」 まだ何か言いかけたLに適当に返事をして、航平はその場を離れた。
「そっか。今は『氷室』ヒカルっていうんだ。氷室…ヒカル…」
呟くように、噛み締めるようにその名を言ってみる。 小さい頃はただ「ヒカル」としか呼んではいなかった。 『戸岐』航平が、「航平」としか呼ばれていなかったのと同様に。
ヒカルの他人を寄せ付けない冷たい琥珀の瞳だけが、強く印象に残っていた。 同じ施設にいた同じ年齢の子供だから、何かと一緒にさせられたが航平はほとんどヒカ ルの声を聞いた覚えがなかった。幼児の癖にそれだけ寡黙な子もめずらしい。 航平が絶えずしゃべっているタイプだったので、ヒカルの無口さは余計目立っていた。 同じ年齢というのに、ヒカルも航平もある意味同じように子供らしくなかった。 航平はゲームに対して異常な関心を示していたし、ヒカルは自分の興味のあるもの以外 全く無視の態度をとる子供だった。 航平のゲームの天才ぶりはいまだに施設の語り草になっているが、ヒカルもまた自分が 気に入ったゲームは航平に勝つほどの腕前だった。 航平は、ずっとそのヒカルの態度が気に入らなかった。 ゲームなら何でもいい航平に対して、頑固に自分の好き嫌いを主張するヒカル。 ゲームの勝利数を競おうにも、ヒカルがやったゲームでことごとく航平が2位に甘んじ ていては子供ながらに腹も立つだろう。 航平が雪辱を果たそうとしても、肝心のヒカルが乗ってこないのだ。 ヒカルはともかく、航平にとってはヒカルは目の上のこぶであり、どうしても自分のペ ースに持ち込みたい相手であった。
「ああいうのを、勝ち逃げ野郎っていうんだ!あいつ、自分の得意なゲームでしか俺と 勝負しないじゃないかっ」 幼稚園に入るか入らないかの年齢の航平が、ヒカルに向かって大人顔負けの罵倒をする のを少女時代のLも聞いていた。
Lもまた、航平やヒカルと同じ施設にいたのである。 後に航平の教育係りになるエージェントGもまた、その施設に入っていた。 ドラゴンドライブプロジェクト(DDP)は、十何年もかけた遠大な計画だった。 様々な素質のある身寄りのない子供を集めて養育し、更にDDPの眼鏡に叶った人材を 集める。エージェントも技術者も、そうして集められた人材が多い。 特にこの戸岐航平は、戸岐才蔵社長の養子でありDDPの切り札とも言える逸材だった。
「前からあのしたり顔、気に入らなかったんだよねぇ〜」 航平は独り言を言いながら、特別訓練室へ足を向けた。
なぜだろう。 ほんとうに昔からヒカルが嫌いだった。 おとなしさも、人を見下すような目も、白く整った顔さえも。 こうなったら、理屈じゃないかもしれない。 自分の態度は棚に上げているのが、航平は無自覚だ。 心のどこかで、Lの言った言葉が引っかかる。
「あらあら。めずらしく人に関心があるの?航平君。キライというのは、気になってい る証拠よ」
「なあにが、気になっている証拠よ、だぁ。Lちゃん、相変らずお節介なんだから」 ぶつぶつと呟きながら、航平は、昔通っていた訓練室の前に立った。 IDカードと専用暗証番号で簡単に入室する。
ついでに室内のモニタに細工して、Dゾーン内のモニタのヒカルしか写らないようにす る。航平はDゾーンでの特訓と称してよくこの部屋に立てこもった。一人で誰にも掣肘さ れることのないゲームを楽しみために。 一昼夜飲まず食わずでゲームを続け、GやSを心配させたものだった。 もっとも事故があっては困るから、Dゾーンにいるゲーム参加者のトレースは熱心にす るけれど、現実世界にいる参加者の監視は感覚異常や生命維持などの機械のデータチェッ クくらいしかしないことを航平は熟知していた。
微かな機械音のする室内に、氷室ヒカルはいた。 ゲーム専用シートに身を委ねヘルメットを装着して、Dゾーンへダイブ中のようである。 航平は目の前の大画面モニタに視線を向けた。 Dゾーンではヒカルの操るコーカオーと、まったく同じタイプのコーカオーが戦ってい る。このゲームは、人が操るドラゴンの方が無人ドラゴンよりも制約が多い。無人ドラゴ ンは、あくまでプログラムに忠実であるからだ。 さすがのヒカルも、同じタイプのコーカオーに手を焼いているようだった。 航平はモニタを見ながら、肩を竦めた。 シートに座っているヒカルの方へ近づいた航平は、自分もDゾーンへダイブしようかと 考えた。いきなりバトルというのも、再会を祝するにはいいかもしれない。なんといって もお互いに似ていると言われるのは心外だろうが、ゲームフリークという面ではそっくり な二人である。 航平はシートに座りかけて、もう一度ヒカルのシートへと歩み寄った。
シートに深々と体を任せて、ヒカルはそこにいた。 Dゾーンへダイブしている間は、こちらの体はまったく無防備である。 神経系統もほとんどすべてDゾーンへダイブしているほうへ接続されているから、こち らに残っている体の感覚はさほど鋭敏ではない。 航平はヒカルの前に屈み込み、その顔をつくづくと眺めた。
ヘルメットの下、閉じられた瞼。 Dゾーンで戦っているせいか、少しだけ息が早かった。 色素の淡い髪の毛と、目を閉じているせいで優しく見える白い顔。
航平は思いっきり顔を近づけた。 微かに開いたヒカルの薄い唇から、息が洩れている。 航平は何か抗いがたい力に引かれるように、ヒカルの顎を捉え唇を寄せた。 当然ながら、ヒカルの唇は応えない。 柔らかな感触を楽しみながら、航平はヒカルと唇を重ねた。 「へえ。なんかいい感じ…」
航平はもっと深くヒカルを感じたくて、ヘルメットを押し上げたいような誘惑にかられ た。しかし、そうすればヒカルはDゾーンから強制終了してこちらに戻ってしまう。 航平は自分が無理な体勢をとりながら、不埒はキスを続けた。 ゆるやかに開かせた唇に舌を侵入させ、ヒカルの口内を蹂躪する。 流れ落ちかける唾液を吸いながら、航平は自分の思いのままになるヒカルを思う存分貪 った。
ふうっと深い息をついて、航平がようやくヒカルの唇を解放した。 航平はおもむろにヒカルのジャケットのジッパーを下ろした。 Tシャツをめくり上げ、白い胸を露出させる。
ためらいもなく航平は胸の薄い紅に口を寄せ、吸い上げる。 ヒカルの体がわずかに動いた。 舌先で舐り、吸い上げ、固く尖った先端を更に刺激する。 やがて航平の唇は鎖骨のあたりに寄せられた。 きつくきつく吸い上げ、鮮やかな血の色を滲ませた。 ヒカルの体の鼓動が早くなっている。 航平は微笑みながら、左胸に手を当てその鼓動を楽しんでいた。 それ以上の行為をすれば、自分の体さえ制御できなくなると感じた航平は惜しそうに体 を離した。 「ヒカル。今度はこっちで遊ぼうね。あんた、どんな声を聞かせてくれるのかなぁ」 くすくすと笑いながら、航平はヒカルの着衣を直した。 何事もなかったかのように航平は訓練室を出た。
Dゾーンから戻ってきたヒカルは、おそらく何があったかなど気がつかないだろう。 もっとも、鎖骨に残された刻印が何を示すか知れば別だろうが。
「やっぱ、あのままやっちゃえばよかったかな。…でも、騒ぎになって親父に叱られて もイヤだし。Gさんも煩いし」 ヒカルの唇の感触を思い出すように舌先で自分の唇を舐めた航平は、立ち止まって振り 返った。 そこに探す相手がいるわけがないと思いつつ。
「へへっ。今度は鎖骨じゃなくって、もっといい場所に俺のキスマークをつけてやるよ。 …待っててねぇ〜、ヒカルちゃん」
訓練室でDゾーンから戻ってきた氷室ヒカルは、自分の体に残る妙な違和感を確かめる ように両手で肩を抱いていた。 リアルかヴァーチャルかわからない中、ヒカルは誰かの声を聞いていたような気がした。 その声を聞いたとき、自分の体が熱く感じられたことも。
それが、誰の声であるか知るのはまだもう少し先である。
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<作品&ヒカル受けに対するコメント>
アニメでも原作読んでも「氷室は受けだな」と自分なりに納得してました。
案の定イバラ道でしたが…。攻めヒカル、ちょっと想像がしにくいかな…。
戸岐×氷室は、戸岐君が危なくって書いていても軌道修正が大変です。
〜 久瀬ましろ様 ANCIENT BLUE 〜 |