〜 微睡み 〜

 

 

 

 

 「ヒカル!誕生日、おめでとう」
 ケーキの箱と、花束、そしてヒカルが欲しがっていた新作ゲームソフトを抱えて僕はヒカルの家を訪れる。

 ヒカルの両親は海外に仕事で長期間赴任だし、ヒカルは今年も一人っきりの誕生日のはずだった。
 前もって連絡すると面倒くさがりのヒカルのことだから、逃げ出す可能性もあった。
 だから、僕は不意打ちを選んだ。
 引きこもりの彼は、家にいるのだけは確かだったからね。

 居留守か無視される場合も想定していたけど、ヒカルはインターフォンで僕の訪問を確認すると、あっさりと家の中へ招じ入れられた。

「やあ。14歳の誕生日、おめでとう、ヒカル」
 玄関に立っていたヒカルは、珍しくいかにも呆れた、という顔をしていた。

 ヒカルにはあんまり似合わないかもしれないけれど、ピンクの薔薇を花瓶に活けて、ケーキをダイニングテーブルに置いて、飲み物を用意しようと思ったけど、ヒカルは僕の動きをみているだけで一向に動こうとしないし。
 
 「勝手に台所、触ってもいい?」
 「ああ」
 「…コーヒーか紅茶、あるかなあ」
 「そこ」
 「あ、ほんとだ」
 コーヒーが好きなヒカルらしく、コーヒーメーカーとエスプレッソメーカーが並んで置いてあった。ものぐさなヒカルにしては、挽いた豆ではなくコーヒーミルで挽くように豆のまま買っていたのにはちょっと驚いた。しかも、電動じゃなく手挽きだよ。
 「ヒカル…」
 振り返ると、ヒカルは薔薇の花に顔を近づけて香りを楽しんでいた。
 ………か、可愛いかも………。

 僕の凝視に気がついたヒカルがこっちを見て、ついでに睨んできたので僕は慌てて笑顔を繕った。
 「…お皿、ある?」
 「ああ」
 「カップは?」
 「ここ」
 「えっと、好きな挽き方でコーヒー豆、挽いてくれる?」
 「ああ」
 いや、ほんと最低限の返事しかしないよね。

 でも正直、すんなり家の中へ入れてもらえるとは思わなかった。
 この家へ来る時は、いつもDDセンターの帰りに強引に、という感じだったから。
 それも、お泊り前提だし。
 日曜日のお昼近くに、しかも僕が一人で来たのは初めてだった。

 何回かデートもしたけど、誘うのは当然いつも僕。
 色気のないことにDDセンターの帰りとか、ヒカルがごくたまに登校した時の帰りとかが多い。携帯で連絡とろうとしても、会話が成立しないし。
 要するにヒカルが外出した時は、僕が必ず付きまとう、ということだ。

 …言っていて、へこむなぁ…。

 濃い目に淹れたコーヒーに、僕は砂糖を入れて、ヒカルはブラック。
 コーヒー用ミルクが欲しかったけど牛乳しかないし、今日はカフェ・オ・レ飲みたい気分じゃないし、その辺はわがまま言っても仕方ない。

 ヒカルがどんなケーキが好きかわからなかったので、美味しいと評判のケーキ屋からショートケーキを幾つか買ってきた。甘いものを食べているところを見たことがないヒカルだから、もしかしたら甘いの嫌いかもしれないと思って、甘さ控えめなのを選んだつもりだ。

 蝋燭立てられるようなホールケーキのほうが本当はいいんだろうけど、二人で食べるんなら飽きるかもしれないし、なによりヒカルが嫌いだったら目も当てられない。
 ケーキは全部で5つ買ってきた。

 「ヒカル、どれがいい?」
 ケーキの箱を開けて見せると、ヒカルはすいっと体を伸ばして覗き込んできた。
  あ、意外と好きなのかも、ケーキ。

 「これ」
 指差したのは、ごくシンプルなイチゴショート。
 「これね。お皿とって」
 僕が手を伸ばすと、ヒカルは素直に皿を寄越す。
 「他には?」
 「……後でいい」
 「そう?じゃ、僕、これ貰うよ?いい?」
 僕が手に取ったのは、濃厚なチョコレートをふんだんに使ったケーキ。
 「ああ」

 二人は、薔薇の花を真ん中においてダイニングテーブルの差し向かいに座った。
 これで、手にしているのがワインか、シャンパンだったらもっと絵になるだろう。
 でも、ヒカルは14歳、僕は13歳。
 飲酒は、まあ、無理だね。

 「ヒカル。誕生日おめでとう」
 僕があらためて言うと、ヒカルが仏頂面をした。
 こういう時のヒカルのこの表情は、照れているのだと、僕は知っている。

 チョコレートケーキを一口、二口食べていると、ヒカルがじっと見つめているのに気がついた。
 「…もしかして、ヒカル。味見したい?」
 「……いいか?」
 「…いいよ。ほら」
 皿ごとヒカルに前にケーキを差し出すと、ヒカルは困ったように僕を見る。

 「どうしたの?」
 「…色々付いているから、どこを貰っていいか…」
 僕が選んだケーキは、ナッツ類が一面に振り掛けられ生チョコクリームで結構デコラティブな形をしている。
 ヒカルは、そんなケーキと僕に遠慮したらしい。
 「ああ。そっか。じゃ、口開けて。…僕のフォークでいい?」
 「…ああ…」

 僕が適度な大きさに切ったケーキをヒカルの口に運ぶと、ヒカルは素直にケーキを口にした。

 か、可愛い。
 これで、膝の上に乗ってもっとおねだりされたら、骨抜きになるぞ、きっと。
 わけのわからない思考がぐるぐると頭の中を駆け巡り、僕はヒカルが満足そうに食べるのを見ていた。

 「え?」
 目の前にイチゴの乗ったケーキをフォークに乗せて差し出され、僕は目を見張った。
 「味見、するか?」

 嘘だろーっ!
 口元に運びかけたコーヒーカップを途中で止めて、僕は一瞬固まった。

 なんか、悪いものでも食べたか、風邪で熱でもあるのか、ヒカル。
 
 気を落ち着けるために一口コーヒーを飲んでから、眼鏡の位置を直してから僕はヒカルを見た。
 「あ…いいの?」
 「ああ」
 僕が食べやすいように、ヒカルはテーブルに身を乗り出している。

 僕はその手をそっと掴んで、ヒカルの差し出すフォークではなく、ヒカルの顔に自分の顔を近付けた。

 触れるだけの、キス。
 それから、ケーキを食べた。
 イチゴよりキスの甘味の方が、強かった。
 

 ヒカルはいきなりの僕の無作法にむっとした顔をしていたが、怒っているわけではなさそうだった。

 何も言わずにヒカルはケーキを食べ始める。
 僕も、同じだった。

 なんだか、ヒカルの食べる速度が異様に速い。
 仏頂面をしているけど、機嫌は悪くなさそうだった。
 食べるのに専念しているのは、きっと照れているせい。
 うん。

 
 「もうひとつ……食べる?」
 「……ああ…」

 箱の中には、あと3個のケーキ。
 レアチーズと、洋梨のシャルロット、抹茶のシフォンケーキ小豆クリーム添え。

 「どれがいい?」
 「…お前は?」
 「いいよ。ヒカルに買ってきたんだから、好きなのを選んでよ」
 「…迷っているんだ」
 「………じゃ、全部食べてもいいけど?」
 「…………」

 結局、信じがたいことに僕たちは互いにケーキの食べさせあいをした。
 あの『氷室ヒカル』と、この『純柴一郎』とが、だ。
 
 ヒカルがケーキが好きだというのも、意外だったけどね。
 来年はホールでも大丈夫そうだ。

 夕食はヒカルの家の近所のイタリアンレストランで食べて、誕生日だといったら花火を飾ったフルーツの盛り合わせをサービスしてくれた。
 
 帰宅してから新作のゲームをちょっとだけプレイして、就寝時間になると当然のようにお風呂に一緒に入って、そして。

僕よりひとつ年上になったヒカルを、抱き締めた。

 
 
 
 僕の腕に抱いた熱い体が、徐々に熱を下げていくのが感じられるのが心地よかった。
 ヒカルの中に入っている感覚も好きだったが、こうして眠るヒカルを抱き締めているのも好きだった。

 引きこもりのヒカルは他人と接触することなどほとんどなく、学校でもDDセンターでもほとんど人と交わらない。
 初心というのにはあまりにも可愛げがないが、すれていないのだけは確かだった。

 規則正しい寝息と、静かな鼓動。
 僕の腕の中に、僕の愛しい者がいる。
 すごく、幸せな時間。

 起きているときのヒカルをまじまじ見ると大抵怒るから、今だけがヒカルの綺麗な顔を見つめていられる時間。
 でも、眼鏡を外しているから間近に顔を寄せないとよく見えなかったりする。
 やっぱりコンタクトにしたほうがいいかな。
 
 白い瞼に、軽くキスをしてみる。
 柔らかい髪の毛が僕の頬に触れる。
 そっと梳くと、ヒカルが身じろぎをした。

 「………」
 「…ごめん。…起こしちゃった……?」
 寝起きの焦点のあっていないような琥珀の瞳が、僕を見た。
 「………」
 「…ヒカル…?」
 僕の頬に柔らかいものが押し付けられた。

 ヒカルの唇は、そっと僕の頬に触れている。
 「ヒカル……」
 僕はヒカルの体を抱きなおし、唇を重ねた。

 寝付きも寝起きもあまりよくないヒカルは、子供のように拗ねて甘えることがある。
 幾度も触れるだけのキスを繰り返すと、ヒカルが応える。

 「純柴…」
 「なに?ヒカル」
 「ありがとう……」
 
 ケーキよりもずっと甘くて、それでいて飽きない甘さの、キス。
 ヒカルが僕の腕の中で微睡んでいくのを、僕はすごく幸せな気分で見ていた。

 

 

 

 

  


  

 

<作品に対するコメント>
 

ヒカルの誕生日を祝う純柴。
たまには二人っきりで、甘々な時間もよいかと。
純柴が主夫するのも、結構好きです(笑)


 〜 久瀬ましろ様 ANCIENT BLUE 〜

 

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