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つぶやき

群声 後編






  今日、三度目のチャイム。
  もしかしたら思いっきりシカトされるかな、と思っていたけど、意外にもすぐに玄関の
 ドアは開いた。
  僕は深い翠の浴衣と下駄姿。
  正しい夏祭りの姿。
  ヒカルはといえば、相変わらずの白いジャケット姿。

  「……あんた、その格好で行くの?そもそも暑くないの、その格好」
  「………悪いか?」
  「悪くはないけど、雰囲気ないなぁ」
  肩を竦める僕に、ヒカルは視線を向けた。
  「…………浴衣なんか、持ってない」
  「そうだと思った。持ってきたよ、あんたに似合いそうな浴衣」
  「…………」
 
  有無を言わせず僕はヒカルを家へ押し戻し、持参した浴衣を着るように言った。
  「そんなもの、着たことない」
  「…マジ?着付けは簡単だよ?」
  ヒカルのために選んだのは、黒に近い紺。
  きっと、ヒカルの白い肌に映えるだろう。

  ……ちょっと、そんなこと考える自分が怖かったりするけど。

  放っておくと左前に着てしまったヒカルに、僕はため息をつきながら着付けの手伝いを
 した。
  「あんた、こういうことは全然興味ないんだね…」
  ヒカルの正面に立って浴衣を着せながら、僕は呟く。
  僕に抱きしめられるような格好で、おとなしく浴衣を着せてもらっているヒカルは手際
 よく動く僕を見ていた。

  僕の為すがままになっているヒカルの体は、意外にしっかりと男らしくて、体温が高い。
  ひんやりと冷たい印象があったけど、それは僕の思い込みだったらしい。
  ヒカルの凝視に、僕は苛立つ。

  「…何?」
  「いや、お前はこんなことをするんだな」
  「……こんなこと?」
  「…他人の世話焼き」
  囁くようなヒカルの声に、僕は背筋がぞくっとした。
  何て声、出すんだろう。
  今まで僕が気付かなかっただけか?

  「…あのね…ヒカル…」
  「ドラゴンドライブで、血相変えて俺を倒そうとしている男には見えないな」
  ヒカルの珍しいからかうような言葉に、僕はむっとしていいのか、喜んでいいのか、表
 情の選択に困った。
  氷室ヒカルが、個人的に僕に関心を持ったんだから、喜んでいいんだろう。きっと。

  背中に手を回して帯をきつく結ぶ。
  帯びのきつさのせいか、ヒカルの息が僕の耳をかすめた。
  琥珀の瞳が、僕を見ている。

  一瞬、ヒカルを抱きしめるような手に力が入り、僕はその自分の動きに動揺した。
  鼓動が跳ね上がり、その大きな音を知られたくないから僕は慌ててヒカルの体を離した。

  「さ、行こうか。ヒカル…」
  僕の声は、ちょっとだけ擦れていた。





  「おい…!」
  「何?」
  「お前、どういう手を使った!?」
  ヒカルが驚くのも無理はない。
  僕がヒカルを連れて行ったのは、花火職人の、まさに花火を打ち上げる場所のすぐ側だ
 った。
  僕、純柴一郎と、氷室ヒカルが連れ立って花火大会を見に出たものだから、周りの女の
 子達が騒いで大変な中、僕は適当にあしらって、ヒカルは完全無視で、目的の場所にたど
 り着いた。

  数人の若い衆に色々指示をしていた小柄な老人が、僕の方を見た。
  日に焼けた皺だらけの顔が、くしゃっと笑う。
  「こりゃ、純柴の坊かね」
  「無理を聞いていただいて、すいませんでした」
  素直に頭を下げた僕に、ヒカルが驚いていたようだった。
 
  「こんなところ、普通には入れないんじゃが。…旦那さんに頼まれちゃ、仕方ないな」
  老人の顔は笑っているが、目は笑っていない。
  無理強いをしたのは、僕もよくわかっている。
  親父の名前で、圧力をかけたのも同然の頼みなんだから。
  「もう、無理は言いません。こっちの彼が、花火に興味がある氷室ヒカルです。…ヒカ
 ル…!」
  僕が肘でヒカルをどつくと、ヒカルはすっと頭を下げた。
  「氷室です。……無理なことを言って、すいませんでした」

  引きこもりにしては、すいぶん妥当な挨拶だな、と思っている間もなく、ヒカルはこの
 怖そうな親父さんのところへすいっと移動した。

  「パソコンで花火の解析をしたり、デザインをしてみたりしたけれど、やはり上手くい
 かない。本物の完成度にかなわない、と言うのを実感した。今日、ここでこの場所で花火
 を見れるのは、かなりうれしい」
  ぼそぼそ話すヒカルのなんだか不安な日本語だけれど、親父さんはまたくしゃっと笑っ
 た。
  今度は目も笑っている。
  「坊。日本の花火は世界に誇れる花火だ。技術も美しさも。打ち上げ場所と言う滅多に
 入れん場所で、じっくり見ていけ。パソコンは若い職人も使っている。だが、この爺ぃの
 頭の中の火薬の調合には、まだまだ勝てんようじゃ」

  豪快に笑いながら、親父さんは僕とヒカルに耳を塞ぐように合図した。


  鋭い音とともに、大きな火球が空へと上がった。
  一瞬の閃光。
  続いて、腹に響くような低い爆裂音。
  夜空に、色とりどりの大輪の花が開いた。

  その光景をほぼ真下から眺めることができたのは、僕にとっても刺激的だった。
  花火の終わりに、ザーッと波の寄せるような音を立てるものがあった。
  色や光だけでなく、音でも花火は華麗な姿を見せる。

  涼しげな波の音を聞きながら、僕は隣りで頬を紅潮させて花火に魅入るヒカルを見つめ
 ていた。

  僕は、この氷室ヒカルに今までと違った興味を抱くようになったと確信しながら。
  ヒカルが自分の思う通りにプログラムできない『花火』に関心があるように、僕は僕の
 思う通りにならない『氷室ヒカル』に関心がある。

  一夏の気の迷いじゃないことは、自分自身がよくわかっていた。

  花火が全て打ち上げられ、花火職人たちも後片付けに取りかかっている。
  僕はぼうっとしているようなヒカルを促して、その場を辞去した。
  職人の親父さんは、仕事を終えた清々しい顔で僕とヒカルを見送る。


  「…堪能した?ヒカル」
  僕の問いも聞こえないように、ヒカルはそぞろ歩いていた。
  「ヒカル…」
  まるで僕の存在を無視しているようなヒカルに、僕は訳もなく怒りが込み上げてきた。
 
  僕はヒカルの腕を掴むと、いきなり抱き寄せた。

  不意をつかれたヒカルの体は、僕の腕の中にすっぽりと収まる。
  「…すみ……」
  何か言いかけた言葉ごと、僕はヒカルの唇を貪った。
  わずかな隙を突いて舌を入れると、ヒカルのそれは逃げ惑うように僕の舌を避ける。
  噛まれるかと思ったけど、そちらへ気が回らないようだった。
  初心な女の子とするキスみたいで、こっちは妙な気分だった。
 
  (……慣れてないんだね)

  そう思うと、こっちには余裕が出る。
  ヒカルが手馴れていても、コワイんだけどね。

  抱き締めた体が強張り、僕の胸をヒカルの腕が強く押すが、僕は構わずその腕ごと抱き
 締める。
  ヒカルの唇を解放して、滑らかな頬から耳朶、首筋へと舌を這わすと、ヒカルは耐えか
 ねたような吐息をついた。

  抱き締めた腕も少し緩めてやると、ヒカルはほっとしたように体から力を抜いた。
  頬にほんの少し、朱が散っている。
  「…ヒカル…」
  「…………」
  「キス、初めて…?」
  とたん、パンチが飛んできた。

  難なくかわすとその手を捉え、また抱き寄せた。
  「ヒカル。僕、あんたが好きだ」
  「…………」
  「あんたが嫌がっても、僕は好きだからね」
  「……好きにしろ……」
 
  思いがけない言葉に、僕の方が驚く。
  「え?」
  「好きにしてろ、と言った。……お前が物好きなのは、よくわかった…」
  「どっちが、だよ」
  「お前だ。……俺を退屈させなさそうだから…」

  交際申し込み、OKってことかな、と思いつつ、もう一度ヒカルを抱き締めた。
  抵抗は、ない。

  僕を誘うように開かれた唇に、そっと僕のを重ねる。
  深く、深く。

 

  花火。
  夏の一瞬の、美しい閃光。

  群声。
  波を思わせる、音。



  僕は、この夏、退屈させちゃいけない恋人を得たようだった。
  それもまあ、いいか……。




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